SPECIAL REPORT 2002.05.23

【CMSC南茨城事務局通信番外編その7】 ~「CMSC南茨城」誕生回顧録~

茨城に、CMSC復活までの道のり(最終回)

CMSC南茨城 事務局長:中田由彦

EVOLUTION-VII 「10年目のエボリューション」 – ’98年、夏… そして今… –
CMSC南茨城
中田事務局長

ジムカーナチャンピオン川又正英君の参入で、CMSC復活は現実のものとなるかと思われましたがそうすんなりとは運びませんでした。
川俣君の所属クラブもモータースポーツの底辺拡大や入り口を広げるため、ビギナー向けの「クラブ内チーム」を発足させることになり、川又君がその任にあたることになりました。(誤解のないよう申し上げますが、引き抜きやそれを阻止するためのゴタゴタではありません)振り出しに戻ってしまった、と言うような意識はありませんでした。

一時でも彼が係わってくれたことでCMSC復活への基盤整備は確実に進んだのですから。

97年5月、私は6年間席をおいた鹿島支店を離れ、新たな任地である潮来支店におりました。鹿島とは違って、どちらかと言えばのんびりとした小さな町でした。新しい拠点に移って間もなく、住宅街の一角に競技車両を敷地に飾るタイヤショップが開店しました。

店主の平野さんは国内ではドライバーとして、またWRCなど海外ではナビゲーターとして活躍していた方でした。(グループBの「スタリオン4WD」が参加した香港北京ラリーにも出場されており、スタリオンのドライバーだった、ル・ニンジュンとは現在でも交流が続いているそうです)
サラリーマンとしての生活にピリオドを打ち、郷里の茨城に戻ってこられたのです。この方も私とは同世代であり、ともにモータースポーツを志し(あいかわらず、ワタシごときとはレベルの違う方々ばっかりですなー)、共により多くの人たちにモータースポーツの楽しさを伝えたいと考えていたこともあり、ジムカーナ練習会を一緒に企画開催するなど、地域レベルで潜在的モータースポーツユーザーの掘り起こしが出来つつありました。

須賀さんとの電話でのやり取りはモータースポーツ談義的なものから具体的な支部設立・承認に向けての手続きへと変わっていきました。活動母体の報告書や名簿を作成しては直し、また須賀さんも何度も足を運んでくれました。たくさんの「おにぎり」を携えて、でしたよね。

’98年5月4日CMSC南茨城発会式の様子
(CMSCジャーナルVol.62掲載)
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98年初夏、雨の降る中「御大」がやってきました。ひげがすっかりトレードマークとなった兄貴と一緒に。
「外川会長、お待たせしました!初めてお目にかかってから9年もかかってしまいました…」

スターターを務める中田事務局長

’98年7月第一回オートプラザジムカーナレッスン
(浅間台スポーツランド)

インストラクターとして講評を述べつつ、
CMSC南茨城の結成を発表

’98年10月第二回オートプラザジムカーナレッスン
(浅間台スポーツランド)

CMSC南茨城&栃木のユカイな仲間達

’01年8月CMSC全国大会の散会後に
(東北サファリパーク エビスサーキット)

2002年5月、丸和オートランド、全日本ダートトライアル第2戦。
ランサーEXターボはランサー1800RSとなり、さらに中古のランサーエボリューションを経てエボリューションVIとなりました。丸和のスターティンググリッドに着いたのは会長を引き受けてくれた額賀君のランサーです。茨城に復活したCMSCにとって全日本タイトルイベントの初陣です。結果こそトップから大きく引き離されはしたもののローカルイベントから着実にステップを重ね、ここまでたどり着いたことがそのまま新生「CMSC南茨城」の成長の証しであると誇りに思います。

学生から社会人まで、「スター」と呼べるような選手はいません。華やかさにも欠けると思います。しかし、一歩一歩前進してきました。文字通り、「泥臭くてほこりっぽい」やつらが集まってモータースポーツを楽しんでいます。誰かのためではなく、自分のために。

そして、CMSCとともに。 了

現在のCMSC南茨城のメンバー達

注) 本稿はもともとCMSCとしては最も新しい「南茨城」のクラブ員向けに、自身が属するクラブの生い立ちを覚えておいてもらいたいとメール配信していたものをCMSCホームページ企画用に改稿したものです。

【CMSC南茨城事務局通信番外編】

EVOLUTION-I 「エンジン始動」 - 物心 1989年夏 – へ
EVOLUTION-II 「いきなり、挫折!?」  - 1989年夏~1989年末 – へ 
EVOLUTION-III 「電話の相手は」  - 1990年~1991年 – へ
EVOLUTION-IV「頼れる兄貴は心配性」 - 1991年 – へ
EVOLUTION-V 「今どきランサーEXターボ!?」 - 1990年 – へ
EVOLUTION-VI 「復活へのカウントダウン?」 - 1993年~1995年 – へ
EVOLUTION-VII 「10年目のエボリューション」 – 1998年、夏… そして今… –

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