SPECIAL REPORT 2002.05.02

【CMSC南茨城事務局通信番外編その4】 ~「CMSC南茨城」誕生回顧録~

茨城に、CMSC復活までの道のり

CMSC南茨城 事務局長:中田由彦

EVOLUTION-IV 「頼れる兄貴は心配性」 – 1991年 –
CMSC南茨城
中田事務局長

「中田さん、ファックス見てくれました?」
鹿島灘オフロードレースの協賛通知でした。
須賀さんのおかげで、たくさんの賞品がイベントの表彰式を飾りました。
話はちょっと横道にそれますが、鹿島地区は日本のオフロードレースの先駆者とも言える方がおられ、 オフロードスポーツのさかんな地域でした。

 

 確かに、茨城からは多くのオフロードレーサーが輩出され彼らは異口同音に「打倒マスオカ」をめざしていましたね。このころは既に、パリダカへと羽ばたいた増岡さんに熱いエールを送っていました。
 そういう土地柄ですから、もう少しオフロードスポーツのことも知っておこうと、いくつかの4WD雑誌にも目を通すようにしていました。
 そのなかのひとつに須賀さんの写真がありました。確か、「頼りになる兄貴」というようなキャプションがついていたように覚えています。(ちなみに、まだ「おひげ」はありません)

 オフロードスポーツの人材ばかりではありませんでした。 全日本ラリーのナビが3人、しかも皆さん三菱系の会社にお勤めでした。

 永瀬浩一さんは全日本以外でもCMSC埼玉の長沢太郎さんのナビを、転勤されてしまっていましたが、山口励さんは92年には全日本にランサー1800でCMSC青森の大西康弘さんとコンビを組まれました。
 北村士朗さんもショップ系のミラージュにも乗っていました。 永瀬さんはのちにドライバーとしてミラージュ(CC4A)で全日本に出場しています。

鹿島灘オフロードレース
パジェロ、フォルテ等多数出場

 須賀さんと初めてお会いしたのは東京にパジェロを届けに行った帰りです。まだ三菱自動車本社ビルの2階にラリーアートがあったころですね。
 「おー、あなたが中田さんかあ。大丈夫かよー、あんなに手広く色々やって?えー」
 須賀さんの(思いっきりフレンドリーな)第一声です。私が直接かかわっている活動だけでも90、91年はラリー、ミラージュカップ、フォーミュラ・ミラージュと、すべてを同じメンバーでやっていました。
 ドライバーを入れても10人にも満たないチームでした。 須賀さんが心配するのも無理はありません。情熱だけで突き進んでいた時期です。

つづく

注) 本稿はもともとCMSCとしては最も新しい「南茨城」のクラブ員向けに、自身が属するクラブの生い立ちを覚えておいてもらいたいとメール配信していたものをCMSCホームページ企画用に改稿したものです。

【CMSC南茨城事務局通信番外編】

EVOLUTION-I 「エンジン始動」 - 物心 1989年夏 – へ
EVOLUTION-II 「いきなり、挫折!?」  - 1989年夏~1989年末 – へ 
EVOLUTION-III 「電話の相手は」  - 1990年~1991年 – へ
EVOLUTION-IV「頼れる兄貴は心配性」 - 1991年 – へ
EVOLUTION-V 「今どきランサーEXターボ!?」 - 1990年 – へ
EVOLUTION-VI 「復活へのカウントダウン?」 - 1993年~1995年 – へ
EVOLUTION-VII 「10年目のエボリューション」 – 1998年、夏… そして今… –

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