SPECIAL REPORT 2002.04.25

【CMSC南茨城事務局通信番外編その3】 ~「CMSC南茨城」誕生回顧録~

茨城に、CMSC復活までの道のり

CMSC南茨城 事務局長:中田由彦

EVOLUTION-III 「電話の相手は」 – 1990年~1991年 –
CMSC南茨城
中田事務局長

 フォーミュラ・ミラージュはラリーアートにとっても難産だったのではないかと思います。私たちも大変なことも多くありましたが、それ以上に楽しいことのほうが多くありました。

 フォーミュラ・ミラージュのドライバーは吉田雅美さん。かつては軽自動車のエンジンを積んだミニフォーミュラ「FL500」では、ミラージュカップでも有名な小幡栄さんや、のちのF1ドライバー中嶋悟さんとも一緒に活躍されていた方です。その才能を惜しまれつつ一度は引退したものの、レースへの情熱が再び燃え上がり、最後の趣味にフォーミュラ・ミラージュを選びました。 

 (ちなみにフォーミュラ・ミラージュのドライバーとしては当時最年長。翌年には現在フォーミュラ・ニッポンなどトップカテゴリーで活躍している道上龍選手も出場してくるのですが、吉田さんは道上選手のお父さんとも走っていました)

フォーミュラ・ミラージュ開幕戦

 さて、シャシを真っ先にオーダーした我がチームですが、サプライヤーから引渡しを延期してほしいとの連絡がありました。
 ある自動車雑誌を母体にするチームが、イベントに展示するため引渡しを急いでいるとのことでした。
 快く引渡しの順番の繰り下げを受け入れたまでは良かった・・・
 このチームは正式なレギュレーションの決定前に、エンジンパーツを改修し一騒動となってしまいました。

 「レギュレーションに書いていないことは禁止されていると解釈すべし」と、外川さんや望月(修)さんら三菱モータースポーツの大先輩諸氏から教えを受けていた私にはちょっと・・・でした。

 開幕が近づいてきたある日、ポケットベル(!!)の呼び出し。会社に電話してみると 「ラリーアートの浜村さんに電話してください」と。
 一体なんだろう!? 何か問題でもあったのかなと恐る恐る電話をかけました。
 「あ、中田さん、直接お話するのは初めてですね。実はお願いがありまして」
 筑波での開幕戦を盛り上げるために、地元チームとして協力してほしいとのことでした。

フォーミュラ・ミラージュ開幕戦での
南茨城ピットクルー達

ファンや三菱ユーザーに招待券を配布してもらいたいとその数、なんと150枚!! (筑波の入場料が2000円だから・・・えええっ!?) 開幕戦はマーチングバンドやドライバーへの花束贈呈など華やいだ雰囲気で挙行されました。

 富士スピードウェイでは、スポンサーのお寿司屋さん(かなりのエンスー)がフェラーリでネタ持参。 宇賀神さん(テスト&サービス、当時)がボソッと(わかるでしょう?この感じ)。
 「中田さんところは、金持ちだねえ」(いえいえ、ただオモシロイからやってるだけです) パドックで寿司を握ると言う快挙(暴挙か!?)、たまたま近くを通りかかったラリーアート近藤社長(当時)、 この時初めてだったのですが、私のほうから声をおかけして、フォーミュラのリヤウイング上の皿に並べた寿司を食べていただきました。(他のチームにはない「緊迫感の無さ」のせいでしょうか、笑ってたっけ!!) 
 ミラージュフレッシュマンレースに参加していた、CMSC栃木の郡司義光さんもうちのパドックにちょくちょく遊びに来てくれてましたねぇ・・・
 近藤社長(当時)は「南茨城(三菱)にはオモシロイやつがいる!!」と感じてくれたようです。

南茨城三菱 鹿島支店オープン

 南茨城三菱が鹿島地区の拠点新設にあたり、ショールームにラリーアート商品の展示販売コーナーを設置することになったのも近藤社長(当時)が自ら推進役として動いてくださっていたのです。(現在の「ラリーアートコーナー設置店」のはしりです。ここは、今は無くなってしまいましたが・・・) 

 91年、新設された鹿島支店に私も異動となりました。記念式典には近藤社長(当時)みずからGTOで駆けつけてくださいました。
 「この辺でパジェロを走らせていた頃とだいぶ変わって、道に迷っちゃったよ!」

 営業開始からまもなく、地元の青年会議所から復活する「鹿島灘オフロードレース」の協賛・協力依頼がありました。今年のパリダカで優勝した増岡さんもゆかりのレースであり、メッセージをもらってほしいとの依頼も含まれていました。
 フランス・ソノート派遣を終え、高速化著しいパリダカのトレーニングの意味もこめて、この年フォーミュラ・ミラージュにエントリーしていた増岡さんとは面識が出来ており、FAXですぐメッセージが届きました。そればかりか、必ずしも露出度が高いとはいえないにもかかわらず、このイベントにラリーアートが協賛してくれることになりました。
 1本の電話がかかってきました。
 「もしもーし、ラリーアート須賀でーす」。

つづく

注) 本稿はもともとCMSCとしては最も新しい「南茨城」のクラブ員向けに、自身が属するクラブの生い立ちを覚えておいてもらいたいとメール配信していたものをCMSCホームページ企画用に改稿したものです。

【CMSC南茨城事務局通信番外編】

EVOLUTION-I 「エンジン始動」 - 物心 1989年夏 – へ
EVOLUTION-II 「いきなり、挫折!?」  - 1989年夏~1989年末 – へ 
EVOLUTION-III 「電話の相手は」  - 1990年~1991年 – へ
EVOLUTION-IV「頼れる兄貴は心配性」 - 1991年 – へ
EVOLUTION-V 「今どきランサーEXターボ!?」 - 1990年 – へ
EVOLUTION-VI 「復活へのカウントダウン?」 - 1993年~1995年 – へ
EVOLUTION-VII 「10年目のエボリューション」 – 1998年、夏… そして今… –

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